欧米で人気になっている日本の「田舎体験」。
今、茅葺き屋根の日本家屋の中で、山梨の郷土料理ほうとう打ちの体験ができる
笛吹市芦川町の「おてんぐさん」がホットです。
ほうとうは、山梨で昔から愛されてきた滋味深い家庭料理。
今回は、知っているようで知らないその歴史と「おてんぐさん」が外国人の間で人気な理由を探りました。
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市川 栄治(いちかわ えいじ)
笛吹市芦川町生まれ、芦川町育ち。里山の田舎体験ができる施設「おてんぐさん」で世界中の人々を迎えつつ、食事に用いるお野菜を自ら畑で栽培したり、山に分入って山菜やきのこを採ってきたり、東京などへ芦川町の魅力をPRしに出かけたりしている。
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山の上にある、築300年の古民家
茅葺の大屋根にどっしりとした木造の平屋づくり。一級河川・芦川沿いにある「田舎体験 おてんぐさん」は、蕎麦打ちとほうとうづくり体験ができる施設です。
都心から約90分。コンビニはもちろん信号もない限界集落は「時が止まった地域」と表現されることもあります。
「4年ほど前でしょうか。旅行会社の人がこの地域を発見して外国人向けのツアーを組んでくれたんです。そうしたら、SNSの拡散力もあり、一気に話題に。例えば10年前だったら、髪の色の違う外国人が一人まちを歩いていれば村の人がみんな見に行ったくらい外国人の方はめずらしかったのに、今では観光バスで4、50人訪れるんです。施設も、外国人の方向けに少し改修をしました」
そう教えてくれるのは、芦川町観光協会会長の市川栄治さん。市川さんは芦川生まれ、(ほぼ)芦川育ち。高校3年間だけ、町に下りたと言いますが、卒業後は町に戻り、「おてんぐさん」や近くにあるキャンプ場の運営、畑を生業としています。
「元々この施設は日本人に向けたほうとうづくり体験の施設でした。それが海外の方がまずは強い興味を持ってくれて、頻繁にいらっしゃるようになりました。そこで、椅子とテーブルを置いたり、外国人向けに施設に手を加えたんです」
「蕎麦とほうとうを打てん娘は、お嫁にいけん」
ほうとうは山梨の郷土料理。ほうとうが山梨に根付いた背景には、土地的な理由とともに日本らしい文化が香ります。
「山に囲まれた地域には、保存や加工のしやすさから粉の食文化が残るんです。戦後の食糧難の頃、この地域では大きな家族でほうとう鍋を囲んでいました。まず家長である主人の器にほうとうとお野菜と汁を盛る。次に箸で子どもにほうとうをとってやる。そうするとお母ちゃんが食べるころにはもう麺がないんですよ。お母ちゃんは、白菜やかぼちゃなどのお野菜と汁を自分の器に盛ります。昔、『お腹いっぱいほうとうの麺が食べたい』なんて、わたしの嫁もよく言っていましたよ。昔のお母ちゃんは偉いですよね。暗くなるまで畑仕事をして、それからほうとうを打って、自分は食べないで。今の時代にこんなことを言ったら怒られるかもしれませんが、昔この土地では『蕎麦とほうとうを打てん娘は、お嫁に行けん』といわれていたんですよ」
今では例えば飲食店であっても麺は製麺所でつくるなど、手打ちほうとうは少なくなったそう。
「おてんぐさん」では、打ちたての麺をたっぷりの地場のお野菜とともにダシで煮て食べさせてくれる上、味噌も自家製。自分で粉から麺を打つ特別な体験とこだわりがほうとうの旨さを格上げしています。
里山に眠っていた文化が、エキサイティングと評価される
3月に味噌づくりがスタート。香りをつける麦麹と甘味をつける米麹をブレンドした自家製味噌は1年寝かせたあとほうとうに使用される。
春は山菜、秋はきのこ。地元の素材を中心に、季節感を損なわないようにと新鮮な素材ばかりで丁寧につくるほうとうは、味も評判。
「こんな山奥まで時間をかけて来てくれる人たちに、ちゃんとしたものを食べてもらいたいから。来てくれたお客さんに『よかった』と言ってもらえることが一番の喜びです」と市川さん。
肉や魚を用いないで、かぼちゃやじゃがいもをたっぷり。あとは季節に合わせて旬の野菜や山菜、きのこに油揚げ。小麦粉に湯を少量ずつ混ぜて手でこね、好みの厚さに伸ばしたら、たたんで、切って。大鍋いっぱいグツグツ煮込んだ里山の味。
「こんなに美味しいと思わなかったと感動をしていただけると、そこにはお金をいただけるのとは別の喜びがありますよ」と嬉しそうに話します。
課題は、住民の意識改革と技術の継承
屋号の由来は、ほうとうや蕎麦を上手につくって、天狗になって(上機嫌になって)いただけるように、という願いが込められているそう。
「世界中から注目され、たくさんの人に来ていただけるようになったことは、受け入れの苦労もありますがとても喜ばしいことです。課題に感じているのは町の指導員の確保。ほうとうを打てる人が少なくなってきています」
過疎化が進み、町の人はほとんど皆顔見知りという集落。
「この町が田舎体験ができる観光の地として生き残るには、『おてんぐさん』のような施設の魅力を町の人が自覚し、芦川町に暮らし、働くことに積極的にならなければ。住んでいる人自体の活性化が必要と考えています」と市川さん。
里山に残る技術と文化。世界を感動させる資源が失われないように。この先もっと輝いていける可能性のある町は、若い力とアイデアを求めています。■