日本人は花火が好きです。
「花火は浪漫だから。一瞬で消えてしまうしね」と花火師の山内浩行さん。
玉名「日本の花〜侘寂(わび)〜」が「大曲の花火」にて最高賞の内閣総理大臣賞を受賞。その、松の墨を燃やした「侘寂のオレンジ」は、夜空に明るく発色して強烈な印象をのこしたのち、余韻とともに消える。
技術と感性を必要とする花火の世界は、それぞれが独自に育て上げてきた技術や伝統を強みにしているため、大手企業の新規参入は難しい。現在花火屋は全国に325社。うち、花火大会用の尺玉を製造できるのは130社程度と決して多くない。
「花火は無くならないでしょう」と山内さん。
いつの時代も人は、美しさに感動したい生き物です。
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山内 浩行(やまうち ひろゆき)
明治元年より150年続く「山内煙火店」の4代目花火師。2012年全国花火競技大会(大曲の花火)にて、「日本の花〜侘寂(わび)〜」が内閣総理大臣賞を受賞。夜空に明るく発色するオレンジを得意とし、花火師のあいだでは“ヤマウチオレンジ”と名がつけられるほど。
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歴史と刹那。
山内煙火店は時代とともにありました。「花火屋」としての創業は明治元年。ちょうど戊辰戦争の年だったと言います。
「その前は『朝日流火術師』という狼煙番だったそうです。それが明治になり、『花火屋』になりました。当時、家一軒100円だった時代ですが、花火大会の優勝賞金も100円。そのくらい花火に価値を与えた時代で、花火師たちはこぞって作品を産み出しました」
戦争中、花火を作れないこともあったそうですが、終戦後に再開。
アメリカ独立記念日の式典の際には、式典の花火の製造・打上げをサポートするために山内さんの祖父がアメリカに連れて行かれたこともあったそう。
「帰ってきて近所の人にチョコレートや飴を配っていたそうですよ」
4代目の山内さんは小さい頃から作業の手伝いをしていた。
「門前の小僧、習わぬ経を読む」に等しく、すでに修行中から「やっぱり花火屋の息子だね」とその技術の高さは周囲に一目置かれていた。
「家業ですから。花火以外をやってみたいと思ったことはなかったですよ。花火は、ドーンと打ったあと、わー!って歓声が聞こえるじゃない?あれがもう最高です。感動がストレートに伝わってくる。それが一番嬉しいじゃないですか」
一番いい色。
日本花火の進化は明治維新とともに加速。
「塩素酸カリウムというマッチの原料が日本に入ってきたんです。それから日本の花火がうんと明るくなりました。それまでというのは、松の墨を燃やした“侘びの柳”が主体でした」
しかし塩素酸カリウムという薬品は鋭敏で事故が絶えず、安全性から過塩素酸カリウムに移行。過塩素酸カリウムは安全性の反面で着火しづらく、花火師の技量が問われました。「つくれて打てるのが花火師ですからね」と山内さんは笑って言う。
火薬の燃焼速度と色。実験を何度も繰り返して、「よし」と思ったら玉に詰めます。花火のひらき方や配色。作り手によって特徴が出るとのこと。
「さまざまな形をした“型物”が流行ることもありますが、メインディッシュにはならない。日本の花火がどうして飽きないか、というところにも繋がると思いますが、やっぱり丸型なんですよ。
色は紅(赤)・青・緑・黄・銀の五色を原色とし、それを絵の具のように混ぜて10以上の色ができるんです。
紅は紅でもどんな紅…など、自分が出したい色が出た時が一番いい色だと思います」
山内煙火店が得意とするのは、瞬間的に3000度以上で燃焼し、カッと発色する鮮やかなオレンジ。オレンジは、コーポレートカラーでもあり、“ヤマウチオレンジ”と名のつくほどの特別な色だそう。
「つくりたいのは青です。夜の滑走路の誘導灯の青。もともと飛行機が好きというのもありますが、なんとも言えないあのブルーが理想です。大分、いい色ができてきていると思います」
昔の花火、これからの花火。
「花火をどうして美しいと思うかというのは、日本人がなぜ桜を好きかと同じですよね。ぱっと咲いて、ぱっと散る。その儚さがいいんじゃないの。すぐに消えてしまうから、強く感動できるものなのだと思います」
国民性、繊細さ、浪漫…、歯切れのいい言葉を紡ぐ山内さんは、日本各地でさまざまに趣向を凝らした花火を見るたび、「凄いなあ」と思うそう。
「石和の花火は、先駆けになりますよ。日本は建物が増えて花火がどんどん小さくなっています。もうそれは仕方のないこと。だから、これからは“小さい花火でどれだけ魅せられるか”が課題。工夫で迫力をつけていかないと…」
いくつもの花火大会を経験しても、打ち上げ開始前は緊張する、と山内さん。
「火薬は安全なことに使いたいですよ。想像、研究、挑戦。“夜空に描く一瞬の浪漫”と、うち(弊社)では掲げています。今は、昔懐かしい花火をもう一度再現したいということも考えています」
かつて日本がまだ行灯の世界だった頃、漆黒の闇夜に花火はどのようにひらき、どのように人々の目に映ったのだろう…。
そうやって誰かの願いや夢に思いを馳せるところから、花火師・山内浩行さんの浪漫ははじまっています。
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